尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年続く尾道の旧家 其阿彌家 三原派の刀匠や刀鍛冶の歴史的資料を公開しています。 平成13年(2001年)8月15日15:45開設

三原刀匠正家の鍛冶屋敷及び鍛刀に使用した井戸、そして墓に関する文献資料として、文政二年 西暦一八一九年芸州藩が、東野村に命じて村勢を報告させた『國郡志御用ニ付下しらへ書出帳』 三原御城下、御調郡東野村 の項によると、一、古跡、正家屋鋪『平原与申所ニ刀鍛冶正家住候跡之由申伝候、同所の西、石風呂新開の上ハ手ニ清水有り、正家遣ひ申水之由ニ御坐候』 一、古墳、古墓三つ『五輪原与申所ニ御坐候、平原刀鍛冶之墳之由申伝候』 と書かれています。 注意 芸州藩とは、安芸國と備後國の半國、尾道までを広島浅野家が統括した名称で、明治維新まで続きます。御調郡東野村は、現在の三原市糸崎町で、平原とは、三原市糸崎町にあるJR山陽本線糸崎駅前の丘の付近のことです。

正家の井戸 鍛冶屋敷跡
刀鍛冶は、〝たたら〟と呼ばれる粘土で作った炉の中で、送風装置の〝ふいご〟を使って木炭を燃やしている間に赤目砂鉄を入れて鉄(玉鋼)を作り、その玉鋼(たまはがね)と水を使って刀を作りました。