尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年続く尾道の旧家 其阿彌家 三原派の刀匠や刀鍛冶の歴史的資料を公開しています。 平成13年(2001年)8月15日15:45開設

題 名

尾道会議と住友銀行ヲ興ス事

文化庁登録
第19660号
著者 其阿彌秀文
尾道水道から見た明治時代の住友尾道支店入口
広島県御調郡尾道町字土堂1177番屋敷
住友尾道支店入口の現在
尾道市土堂1丁目8-20
住友尾道支店の門があった場所が、尾道市土堂1丁目8-20のビルの1階駐車場の出入口になります。
住友銀行(現 三井住友銀行)は、尾道と古いかかわりがあります。
明治24年(1891年)11月3日、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)尾道駅が開業して、尾道が別子銅山がある新居浜と阪神間を結ぶ要衝の地となり、別子銅山の用度品の調達や並合業(米・雑穀などの商品担保の金融=抵当による貸金業)などを目的に、明治25年(1892年)6月11日、住友家は、広島県御調郡尾道町字土堂1177番屋敷(570坪)、現在の尾道市土堂1丁目8-20に住友本店の尾道分店として菊間瓦で屋根を飾った住友尾道支店【支店長 上村喜平 うえむらきへい】を新設しました。時を同じくして、尾道町字土堂新道には、住友家別邸が設けられました。
明治26年(1893年)11月には、住友家により尾道-新居浜間の定期航路が開設され、尾道支店の前の海岸には乗降用、支店の倉庫(現 三井住友銀行尾道支店)の前には荷物用の住友桟橋が架けられました。その桟橋から、御代島丸(みよしままる)、木津川丸(きづがわまる)が就航しました。
明治28年(1895年)4月、上村尾道支店長は、尾道の中浜通りにある料亭で地元の財界人との連日の合議の末、明治11年(1878年)11月29日に県内最初の銀行として尾道で創業した第六十六國立銀行(資本金18万円)の業況分析や、当時の金融界の情勢を背景にして、産業金融における銀行の役割を強調し、並合業を脱却して銀行を創設する意見書を、住友本店支配人に提出しました。そして 5月4日、後年まで語り続けられることになった、尾道会議、すなわち住友家15代家長 住友吉左衛門友純の命により、第一回住友家重役会議が伊庭貞剛 別子銅山支配人を会長<議長>とし、本店支配人田辺貞吉ら総勢6人で午後3時30分から尾道支店で開催され、第一議題に「住友銀行ヲ興ス事」、住友銀行の創設つまり銀行業を開く事を揚げて、これを決議しました。
 住友家にとってこの銀行業が、その後、別子銅山に取って代わる事業となりました。
明治28年11月1日、住友本店銀行部として、個人経営の住友銀行(行主 住友吉左衛門 資本金100万円)を創業し、住友本店のとなりに住友銀行大阪本店(大阪市中之島)を開業しました。12月1日には、住友尾道支店内に、貸付、計算、金庫の三係を設けて支店長上村喜平、総勢7人で住友銀行尾道支店が開業しました。
その後、明治45年(1912年)3月1日に、個人経営から株式会社に改組し、株式会社住友銀行(社長 住友吉左衛門 資本金1500万円)が設立されたのをはさみ、住友財閥の銀行として各地に支店の建設が進められました。
また、並合業を継承した関係から、創業した当初は各本支店に付属倉庫を持って倉庫業務も兼営し、支店の貸付係が商品の入出庫などの業務を取り扱いしましたが、明治32年(1899年)6月には、住友銀行から倉庫業務が分離され、同年7月1日から、住友倉庫の商号のもとに独自の営業が開始されました。
明治35年(1902年)6月、住友尾道支店が廃止されるのに伴い、同年7月から住友尾道支店の取り扱い事務が、住友銀行尾道支店に引継がれました。なお、住友銀行尾道支店は、明治37年(1904年)2月1日、当時、銀行浜と呼ばれ、第六十六國立銀行本店や尾道貯蓄銀行、尾道諸品会社銀行部が建ち並ぶ一大金融街だった尾道市久保町字東米場775番地の1に新築移転しました。
当時の建物は、住友本店臨時建築部の技師長だった野口孫市の設計によるもので、明治42年(1909年)には、入口上部にドーム屋根と3連の屋根窓が増築されました。
昭和13年(1938年)8月29日、かねてから住友家が所有していた尾道市土堂1丁目8-3に、住友銀行尾道支店が久保町から再度新築移転しました。海に向かって建てられた尾道支店は、駐車場と支店との間に段差があります。これは、この場所に住友尾道支店の倉庫があった当時、倉庫の荷物を高潮から守るために築かれたものです。
明治42年(1909年)1月1日、住友本店が住友総本店に改称され、住友総本店は大正10年(1921年)2月26日、住友合資会社に移行し、さらに昭和12年(1937年)3月1日には、住友本社となり、戦後の昭和23年(1948年)2月28日に住友財閥の解体で住友本社は清算されました。
このような状況のなかで昭和23年10月1日、住友銀行は、大阪銀行(資本金11億4000万円)と商号を変更しますが、昭和27年(1952年)12月1日には、住友銀行の商号に復帰しました。
その後、住友銀行は、業績を順調に伸ばし、尾道では、〝住友銀行のカレンダ-が貼ってある家は、お金に対して手堅い〟とまで言われました。
昭和50年(1975年)12月7日(日曜日)、毎日新聞が「原油代金の回収不能により、安宅アメリカに多額の焦げ付き債務が発生」をスク-プしたことにより、住友銀行は、表面化した安宅アメリカに端を発した安宅産業を取り巻く問題を、約2年かかって収拾します。その時、当時の伊部恭之助頭取【のちの、最高顧問】は、海外、国内の責任者を集めて、「尾道の原点に返ろう」と語りました。
平成7年(1995年)11月1日、尾道会議によって設立された住友銀行は、創業100周年を迎えました。
そして、創業106周年の平成13年(2001年)4月1日、住友銀行は住友銀行を存続会社としてさくら銀行と合併し、三井住友銀行(資本金1兆2767億円)となりました。

平 成14年(2001年)5月4日  無断複写・転載を禁ず

千光寺山から見た明治時代の住友尾道支店
(住友家の家紋入りの土蔵)

明治42年当時の住友銀行尾道支店
尾道市久保町字東米場775番地の1
(現在の尾道市久保1丁目10-3)

野口式の意匠を凝らしたアーチ

創業100周年を迎えた住友銀行尾道支店
尾道市土堂1丁目8-3

第六十六國立銀行本店
広島県御調郡尾道久保町
現 尾道市久保1丁目14-3
和風と洋風の入り混じった擬洋風建築で、
明治の文明開化を象徴した建物
住友銀行時代から続いた一枚もののカレンダー(サイズ:縦73cm×横52cm)は、2021年(令和3年)三井住友銀行カレンダー:ゴッホの名作の一つ「雨上がりのオーヴェールの風景」で最後になりました。