尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年つづく尾道の旧家其阿彌家。備後三原派の刀匠や刀鍛冶に関する歴史的資料を公開している公式サイトです。

NHK尾道放送局

(現NHK広島放送局尾道支局)

平成29年4月15日
其阿彌秀文
Hidefumi Goami

沿     革
■1926年(大正15年) 8月 6日社団法人日本放送協会が設立される。
■1935年(昭和10年)日本放送協会の第3期放送施設の計画として、広島県では尾道に新局設置が決まる。
■1938年(昭和13年) 9月14日広島県尾道市土堂町字後天狗948番地1(現尾道市西土堂町17-19)が、東京市麹町区日比谷公園2番地の社団法人日本放送協会の所有地となる。
■1940年(昭和15年) 4月日本放送協会の所有地となった千光寺公園の山頂の小山を切り拓いて、今秋の開局を見込んで局舎の建設が始まる。
■1941年(昭和16年) 2月18日
 JODP尾道ラジオ第1〈総合〉放送開始
「本日より、JODP 尾道放送局からラジオ放送を開始致します。」
広島県東部の備後地域を管轄する日本放送協会の局舎として、スタジオを備えた尾道放送局(初代放送局長 高木四郎)が尾道ラジオ放送所(備後地区基幹送信所)を併設して開局する。同時に、尾道放送局から尾道ラジオ第1放送(総合)を開始する。
コールサイン:JODP
その後、加入事務と相談業務に対する尾道放送局分室を尾道市内に設置する。

尾道放送局舎と演奏室(スタジオ)
絵葉書
JODP ONOMICHI BROADCASTING STASION
絵葉書
住所の後天狗とは、昔々、尾道放送局の西南方向の斜面に巨大な松があり、地元の人がそれを天狗松と呼んだ事から天狗松の後ろにある字名として、後天狗になったと聞いています。また、尾道放送局の東側から光明寺下に降りる道、今の西土堂町と東土堂町の境の道が一番局に近い登山道でした。
■1940年(昭和20年) 8月15日 太平洋戦争終結、尾道放送局から正午に「終戦の詔書」を放送。
■1945年(昭和20年) 9月尾道放送局の近くの旧展望荘(尾道市三軒家町22-16)に、連合国軍総司令部(GHQ)情報部(CIC:Counter Inteligence Corps)が設置され、ラジオ放送の事前検閲や指導が始まる。その後、1949年(昭和24年)10月に廃止される。
■1946年(昭和21年)12月 6日 尾道放送局で初のローカル放送として、「素人のど自慢入選者の歌謡風景」を放送した。
■1950年(昭和25年) 6月 1日社団法人日本放送協会が解散して、特殊法人としての日本放送協会が設立される。
この頃、尾道放送劇団が結成される。
〈観光の尾道〉千光寺公園・尾道放送局
絵葉書
■1951年(昭和26年) 7月 1日
 JODD尾道ラジオ第2〈教育〉放送開始
尾道放送局から、尾道ラジオ第2放(教育)を開始する。 コールサイン:JODD
■1952年(昭和27年)10月30日日本で初めての南米チリ向けの蒸気機関車の出車式の模様を、ラジオニュースとして尾道放送局から全国に放送した。この放送は、この年の時事録音ベストテンに入った。
■1953年(昭和28年) 東京でテレビ放送が始まる。
■1956年(昭和31年) 3月21日日本放送協会広島放送局(広島市)が、総合テレビの放送を開始した。
広島県でのテレビ放送の始まりになる。
■1959年(昭和34年) 2月17日尾道放送局制作のラジオドラマ「かくて二人は」が放送される。
 ストーリー
適齢期を過ぎようとしている美人医師小林は、知り合いの医師谷岡との結婚を切望しているが、煮え切らない谷岡に対して…
最後は、予想外の展開に
昭和32年・JODP尾道放送局
■1959年(昭和34年) 4月日本放送協会の略称を「NHK」とする
■1960年(昭和35年) 3月 1日
 NHK尾道テレビ〈総合〉放送開始
尾道市向島町立花高見山148に高見山テレビ放送所(備後地区基幹送信所)を建設して、尾道総合アナログテレビジョンの放送を開始する。
コールサイン:JODP-TV
NHK尾道放送局の一日の最後のアナウンスは、「これで、本日の尾道テレビジョンの放送を終わります。」でした。
■1962年(昭和37年)12月 1日
 NHK尾道テレビ〈教育〉放送開始
尾道市向島町立花高見山148から、尾道教育アナログテレビジョンの放送を開始する。
コールサイン:JODD-TV
■1964年(昭和39年) 4月 6日
~1965年(昭和40年) 4月 3日
NHK連続テレビ小説 「うず潮」を放送する。
■1964年(昭和39年)NHK尾道放送局分室が、現在の尾道市東御所町11-9に移転する。昭和32年・JODP尾道放送局アンテナ
真ん中に見えるのは、昭和32年3月25日完成の千光寺公園展望台
広島県尾道市東土堂町20-2
NHK尾道放送局の尾道水道側の西土堂町、東土堂町に向かって地域向けのNHKのマイクがあり、迷子等の放送がありました。また、放送局の敷地が、当時の尾道ではまだ珍しいフェンスで囲まれていました。
■1967年(昭和42年) 3月15日
 NHK尾道放送局閉局
「本日を持って、NHK尾道放送局からの放送を終了致します。」
NHK尾道放送局を閉鎖して、尾道(総合/教育)アナログテレビジョンの放送と、NHK尾道ラジオ第1放送、尾道第2放送の放送を終了する。同時に分室も閉鎖する。また、尾道ラジオ放送所は、尾道市向島町字新々開11823-2(尾道海上保安部専用桟橋南対岸)に新築移転して、向島ラジオ放送所(備後地区基幹送信所)と名称が変わる。
現在、向島ラジオ放送所は、NHK広島放送局向島ラジオ放送所として備後地区(広島県東部)に第1放送、第2放送を放送する。
■1967年(昭和42年) 4月 3日 報道拠点として、NHK尾道通信部を尾道市西御所町2-253(現尾道市西御所町4-6)に設置する。その2年後には、NHK尾道放送局当時の職員住宅があった尾道市栗原束1丁目11-9の一角に移転する。その後、職員住宅は昭和47年頃取り壊される。
栗原東1丁目に移転したNHK尾道通信部の建物は平屋で、通信部としての事務所と居住する部屋がありました。なお、通信部を囲むブロックで出来た塀には、畳1畳分の大きさの「NHK尾道通信部」と書いた看板が掲げられていました。 
■1969年(昭和44年) 3月 1日
 NHK尾道FM開局
NHK尾道FM開局 尾道市向島町立花高見山148にNHKFM放送所(備後地区基幹送信所)を建設して、尾道FM本放送を開始する。FM放送は、放送開始当初からNHK広島放送局の中継局で、現在もNHK尾道FMとして備後地区(広島県東部)に放送される。
■1997年(平成 9年) 6月11日NHK尾道通信部から、NHK尾道報道室と名称を変更して尾道市西御所町14-15に移転する。
■2007年(平成19年) 7月12日
 NHK尾道テレビ放送所開局
NHK広島(総合/教育)デジタルテレビジョンの中継局として、NHK尾道テレビ放送所を高見山に開局してNHK尾道(総合/教育)デジタルテレビジョンの放送を開始する。
電波の経路)NHK広島放送局→NHK広島テレビ放送所(広島市安芸区絵下山)→
       宇根山固定局(三原市久井町吉田)→NHK尾道テレビ放送所(高見山)
■2010年(平成22年) 9月27日
 ~2011年(平成23年) 4月2日
NHK連続テレビ小説「てっぱん」を放送する。
■2011年(平成23年) 7月24日完全に地上デジタル放送に切り替わり、尾道市向島町立花高見山148のアナログテレビジョンの高見山テレビ放送所を閉局して、尾道でのNHK広島(総合/教育)アナログテレビジョンの放送を終了する。
■2015年(平成27年) 8月 1日NHK尾道報道室から、NHK広島放送局尾道支局に名称が変更される。
業務は、報道部門のみに限定される。
明治維新から150年の2018年(平成30年)1月に、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」がスタートします    同ドラマは、明治維新の立役者の一人として知られる西郷隆盛が主人公です