尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年つづく尾道の旧家其阿彌家。備後三原派の刀匠や刀鍛冶に関する歴史的資料を公開している公式サイトです。

赤い井戸のマーク一帯が鍛冶曲輪と言われた場所で、鍛冶屋敷、武具役所などがありました。三原城は、三原湾に浮かぶ大小2つの島を利用して永禄十年(1567年)に小早川隆景によって築かれ、その後拡張していきました。堀には海水を引き、入海に向かって船入り櫓を備えた水軍城で、本丸は城の北端に設けられましたが、天守閣は築かれず、三方に二層の隅櫓が置かれ、南は海に向かって二の丸と三の丸が扇状に広がっていました。また、満潮時には海に浮いているように見えるため、浮城(うきしろ)とも呼ばれました。現在、本丸跡はJRの線路が貫いていますが、三原駅(明治27年開業)の南側には船入り櫓跡が残っています。

右の写真は、かつて三原城内にあった『正家の井戸』です。
六代正家の流れを汲む末三原の刀匠が代々使用したと伝えられていますが、残念ながら、現在はありません。

末三原の時代に使われた『正家の井戸』(昭和12年頃撮影)
豊臣秀吉は、朝鮮出兵の恩賞として真田昌幸(幸村の父)に〝三原の太刀〟を与えるなど、三原の刀が大変お気に入りでした