尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年つづく尾道の旧家其阿彌家。三原派の刀匠や刀鍛冶に関する歴史的資料を公開している公式サイトです。

平成30年1月1日
(2018年)
其阿彌秀文
Hidefumi Goami

正家の井戸


平成13年(2001年)春 撮影

昭和30年(1955年)1月1日現在と思われる地図

平成30年(2018年)1月1日現在の地図

現在の広島県三原市糸崎3-4-12の前の国道185号あたりは、江戸中期(1692年~1779年)に描かれた「行程記」(毛利家文庫 山口県文書館蔵)によると、山陽道の南側に新たに開かれた土地(新開)だったようです。その土地を、石風呂新開と呼ぶようになったと考えられます。また、正家の屋敷跡がある平原(ひらはら)は、昭和20年(1945年)までは家がなく畑や野原でした。

沿     革
明治時代後半 ~現在の三原市糸崎3-4-12にある土地は、旧土地台帳の地目に田と記録がある。
昭和25年 6月10日
  (1950年)
個人所有だった現在の三原市糸崎3-4-12にある土地が、中日本重工業株式会社三原車輌製作所の所有となる。

この頃、地元の人が「刀鍛冶が刀を研ぐために使った井戸」(赤色の井戸)と呼んだ井戸には井戸枠がなく、いつも地面から水があふれている「清水」の井戸で、田の稲を育てるのに使われていた。井戸のまわりには、食用のセリがたくさん生えていた。
清水:地面などからわき出るきれいに澄んだ水のこと

上記の清水は、現在の三原市糸崎3-4-12にある「刀匠正家使用の井戸」の井戸枠がある場所であることが今回確認された。
昭和27年 5月 1日
  (1952年)
三原車輌製作所が、田だった場所に近代的なブロックアパートで上水道が完備された2K仕様(六畳二間と台所)の2階建て2棟計24戸の郷崎(ごうさき)社宅を完成させる。
前述の地面などからわき出る「清水」の井戸はそのままで、深さは浅くその水は水撒きなどに使用された。
地面などからわき出る清水の状態は、昭和30年代終わりまで続いた。
      5月29日中日本重工業株式会社が、新三菱重工業株式会社三原車輌製作所に社名を変更。
昭和30年 4月 1日
  (1955年)
新三菱重工業株式会社三原車輌製作所から、新三菱重工業株式会社三原製作所と所名を変更する。
      5月15日三原市糸崎町の郷崎地区の山林だった山を削って、新三菱三原グランド(グラウンド)が完成する。
昭和33年10月
  (1958年)
「三菱グランド(グラウンド)の下は田んぼばかりで、近くの社員アパ-トの西側にポツンと古びた井戸があった。地元の人の間では、この井戸は、有名な刀鍛冶が使用したものだから、大切にしなければいけないと言われていた。この井戸は深くはないが、旱魃(かんばつ)にも水が切れた事はない。その昔、正家はこの井戸と、もう少し西側にある湧き水を使っていた。」 と記録にある。
昭和37年 7月 3日
  (1962年)
キャベツ畑だった小山を削って、新三菱三原病院を開院する。
「刀鍛冶が刀を研ぐために使った井戸」 の少し西側の畑にもかつて清水(青色の井戸)があり、後年近所の人たちが生活の水として使っていたが、病院建設に当たって国道から病院への道を作るため、現在は道沿いの歩道で鉄板で蓋をされた状態になっている。
      8月18日キャベツ畑だった小山のすそを削って、新三菱重工業健康保険組合三原支部の健保会館として三菱三原保健会館が完成する。
 
「保健会館を建てる時に、社員アパート(新三菱三原郷崎アパート)の西側の古びた井戸が埋められたが、その後、湧き水が出て困るので再度井戸が掘り返された。」 と記録にある。
 
「三菱三原病院中央の地下に刀鍛冶が使用した井戸への水脈があり、水質がいいので一時期、酒造りの水に使用された。」 と記録にある。
昭和39年 6月 1日
  (1964年)
三菱重工業株式会社三原製作所に社名を変更する。
昭和40年ころ
  (1965年)
「刀鍛冶が刀を研ぐために使った井戸」 に、手押しのポンプがついたと記録にある。
昭和45年 3月31日
  (1970年)
昭和42年(1967年)10月~43年(1968年)2月に調査した広島県三原市糸崎地区の民話・伝説が、『広島県の民話と伝説』として出版され、その中に下記の事が収録された。
「正和のころ、三原正家という刀工がいた。平原にすみ、そこから西の石風呂新開の上の方にあった清水が正家のいつも使っていた水であるとされる。」
昭和56年 3月31日
  (1981年)
「備後三原の刀工、三原正家の使用した井戸が〝刀工の井戸〟として三原市糸崎町の三菱病院南側に現存し、三菱重工業株式会社の傘下の東中国菱重興産株式会社によって管理されている。」 と記録にある。
平成 元年10月
  (1989年)
手押しのポンプのついた井戸の所有者を調査するが不明となる。
郷崎社宅(別名 三菱アパート)がすべて壊され、跡地が駐車場と第二菱興ビルになる。東中国菱重興産株式会社のリョ-コ-造園の御好意により、「刀鍛冶が刀を研ぐために使った井戸」が「刀匠正家使用の井戸」(赤色の井戸)として私有地に新築され、水神を祀り記念碑を建てて管理される。
平成19年 3月31日
  (2007年)
三菱三原保健会館閉鎖
平成30年 1月 1日
  (2018年)
「刀匠正家使用の井戸」 は現存する。
三菱三原病院完成後から徐々に井戸の水の量が減り、現在の井戸はかつてのように水の量が多くはない。
 
文政2年(1819年)、芸州藩(広島藩)が東野村に命じて村勢を報告させた「國郡志御用ニ付下しらへ書出帳」 三原御城下、御調郡東野村 の項によると、
 
1、古跡、正家屋鋪
「平原与申所ニ刀鍛冶正家住候跡之由申伝候、同所の西、石風呂新開の上ハ手ニ清水有り、正家遣ひ申水之由ニ御坐候」

訳 1、古跡、正家屋鋪
「平原と申すところに刀鍛冶の正家が住んでおり、その跡だと申し伝えられている。同所の西(正家屋敷の西)、石風呂新開の上手に清水が湧き出ており、正家が使っている水であるとのことである。」

 
1、古墳、古墓三つ
「五輪原与申所ニ御坐候、平原刀鍛冶之墳之由申伝候」

訳 1、古墳、古墓三つ
「五輪原と申す所にあり,平原の刀鍛冶が埋葬されている墳墓だと申し伝えられている。」