今川了俊は、応安4年(1371年)の紀行文「道ゆきぶり」で、ふもとにそひて家々所せくならびつゝ、あみほすほどの庭だにすくなし(山の麓に家々が所狭しと立ち並び、網干す庭も少ない)と尾道の状況を描写しています。