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平成22年(2010年)7月10日
著者 其阿彌秀文
文化庁登録第34564号
住居表示尾道市東土堂町16、17と19の境界の小路のことで、写真の下から中そして上に向かって通っている道傾城小路の南側のJR山陽本線沿いが、かつて海岸線だった南北朝時代、傾城小路の東側には御茶屋がありました。 当時の茶屋は、まるで竜宮城のような別世界で、傾城とお酒を酌み交わし会話を楽しむ場所でした。 なお、傾城とは、「絶世の美女」や「遊宴をもてなす教養を身につけた女性」を意味します。 |
太平記 巻十六 兵庫之戦 |
と ほ や |
-遠 矢- |
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建武3年(1336年)5月5日、足利尊氏は東上の際、尾道の浄土寺に戦勝祈願のため参詣し、5月24日夕刻近くには尊氏の船団は兵庫に到着しました。そして、5月25日朝、楠正成・新田義貞軍と湊川の決戦が始まりました。
遠矢とは、その決戦で新田義貞軍が和田岬一帯(兵庫)に陣を敷いた時、海から足利尊氏の軍船が押しかけ対陣しました。この時、新田方の家来本間孫四郎重氏が和田岬の波打ち際に馬を寄せ、下記の「名乗り」の後、沖の尊氏の船に向かって遠矢を射て、両軍の喝采を浴びたというくだりです。
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