赤い井戸のマーク一帯が鍛冶曲輪と言われた場所で、鍛冶屋敷、武具役所などがありました。三原城は、三原湾に浮かぶ大小2つの島を利用して永禄十年(1567年)に小早川隆景によって築かれ、その後拡張していきました。堀には海水を引き、入海に向かって船入り櫓を備えた水軍城で、本丸は城の北端に設けられましたが、天守閣は築かれず、三方に二層の隅櫓が置かれ、南は海に向かって二の丸と三の丸が扇状に広がっていました。また、満潮時には海に浮いているように見えるため、浮城(うきしろ)とも呼ばれました。現在、本丸跡はJRの線路が貫いていますが、三原駅(明治27年開業)の南側には船入り櫓跡が残っています。
右の写真は、かつて三原城内にあった『正家の井戸』です。 |
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末三原の時代に使われた『正家の井戸』(昭和12年頃撮影) |