正家 | 尾道刀工伝 公式ウェブサイト

湊座

尾道最古の人寄席

令和8年(2026年)4月29日
其阿彌秀文


尾道港沿いの3階建ての建物が「湊座」と思われます。
(撮影年月日不明)

昭和20年(1945年)7月の建物疎開前の湊座の位置

湊座は、明治17年(1884年)に 湊甚次 みなとじんじ によって尾道の土堂町西濱に建築された尾道最古の人寄席です。 元々は、港湾労働者の総代であった甚次の浄瑠璃の趣味が高じて浄瑠璃小屋として始まりましたが、講談や浪曲、落語や漫才、旅芝居の一座もやって来て、興業のある時はのぼりがたくさん上がっていました。

その後、湊家が代々座主になり鹿蔵さんの頃は、演劇者として横山エンタツさん、ミヤコ蝶々さん、海原小浜さんなど戦後の昭和の演劇界を代表する人たちが湊座の舞台に上がられました。また、湊座の隣には明治8年(1875年)3月に新築された魚市場があり、大変にぎやかな場所でした。

湊座は湊家の住居と興行部と寄席がある木造3階建てで、寄席の定員は368名と伝えられています。なお、蝶々さんは読売新聞の青春紀行で、「夜になると湊座の灯りが、海に映り、笑い声が、遠くまで響いたもんです。」と情緒のあるこの小屋をとても懐かしがっています。

ミヤコ蝶々 青春紀行 昭和57年(1982年)1月25日(月曜日) 夕刊 読売新聞

昭和20年(1945)7月、戦争による建物疎開があり湊座は壊されました。戦後、鹿蔵さんは湊座跡の一部に湊家の住居を建てて興行部を再興され、鹿蔵さんが亡くなられた後も湊家によって運営されました。平成10年(1998年)には、尾道市土堂2丁目8-27にあった湊家の家屋の入り口の右側に、黒い字で「湊座興行部」と書かれた木製の重厚な看板が掲げられていました。

それからしばらくして、「湊座興行部」はなくなりましたが、今でも、明治9年(1876年)に建立された住吉神社の東門扉の門柱には、「周旋人 湊甚次」と初代座主の名前が刻まれています。

ミヤコ蝶々さんは、昭和2年(1927年)に父親が芝居一座を結成して7歳で座長となり、昭和18年(1943年)に吉本興業に入り一座を解散するまでの間に尾道の「湊座」の舞台を何度も踏まれていたそうです。