尾道正家 | 三原正家

天平時代から千三百年つづく尾道の旧家其阿彌家。備後三原派の刀匠や刀鍛冶に関する歴史的資料を公開している公式サイトです。

講談 演目:柳生やぎゅう宗矩むねのりの大坂夏の陣七人しちにん

〔岡山口の戦い〕1615年(慶長20年/元和元年) 5月7日

 柳生新陰流の柳生宗矩は、大坂夏の陣の時には2代将軍・秀忠の本陣で旗本として警護に就いていました。しかし、真田幸村が家康本陣に突撃したため、秀忠の周りにいた諸将は家康救援に向かったので一時秀忠の周囲が手薄になりました。その時、地雷火が爆発して秀忠の本陣が焼かれ人馬混乱した処へ、豊臣方の木村重成配下の木村主計ほか素肌武者35人がどこからともなく現れ、いきなり秀忠に襲い掛かりました。槍を持って応戦しようとした秀忠の馬前に立った宗矩の右手には、父・石舟斎が天狗を斬ろうとして大石を一刀の下にした大天狗正家が握られていました。
 宗矩が刀を抜いたかと思うと、そこには7人の豊臣方が倒れていました。


○「安藤あんどう右衛もんしょ

「この日、城兵七組、秀忠の牙営がえいを囲み、地雷火また迸発して陣営をき、人馬焦爛しょうらんす。秀忠本陣騒擾そうじょう
はなはあやうし。時に城兵―木村主計かずえ以下素肌の武者三十五人秀忠に迫る。柳生宗矩なる者、馬前に立ちたちま
ち七人を斬る。」

木村主計は、講談の世界では大坂城落城の折に薩摩に落ちのびる豊臣秀頼のかわりに、燃え盛る大坂城で切腹することになっています。

大坂夏の陣、真田幸村(さなだゆきむら)が家康に突撃し、木村主計(きむらかずえ)が秀忠に突撃した